最近、このアニメをきっかけに、医療と仮想世界の在り方について考えていた。
少々長文になるが、まとめてみようと思う。
ソードアート・オンラインとは?
以下、ものすごく、ざっくりと説明すると、このアニメは、ゲームの中に閉じ込められた主人公が、そのゲームのクリアを通じて現実世界に戻ろうと苦闘するという話からはじまる。
ゲームといっても、ファミコンのようなものではない。仮想現実の中で、大規模に多数のプレイヤーで行う、ロールプレイングゲーム(VRMMO-RPG)だ。
プレイヤーたちは、ナーブギア、というヘルメットのようなデバイスをかぶってベッドに横になり、仮想空間のなかに「ダイブ」する。
このナーブギアが、「ゲームの中に閉じ込められてしまう」という状況をつくってしまう。
このデバイスは、脳から身体への神経を通した命令をすべて回収し、仮想世界を舞台としたゲーム内のアバター(プレイヤーの分身)の操作へと変換する。
つまり、「思う」だけで、仮想世界の中の自分が動ける、というものだ。
逆に、ゲーム内のアバターが見たり聞いたりする感覚は、ナーブギアを通じて脳にフィードバックされる。
痛みなどは適宜カットされるので、ゲーム内の自分が切りつけられても、同じ痛みを感じることはない、という設定のようだった。
このデバイスが悪用され、ゲーム内からログアウト(現実世界への覚醒)ができないという状況や、ゲーム内での死が現実世界での死とイコールになるという状況が生み出される。
先述のとおり、ゲームの最中は多くの場合、プレイヤーはナーブギアを装着して、ベッドに寝転んでいる。ほとんど眠っているような状態だ。
悪用されると悪夢だが、正しく使われるならば「夢を自由に見ることのできるデバイス」であり、格好の現実逃避の場所である。
作品中には、他のプレイヤーとの結婚や、家の所有などの制度を主人公が利用するシーンも描かれる。
ゲームの中でも、現実世界に負けず劣らず、充実した生活を送ることが可能であるように見える。
このような没入感の高いゲームは、きっとすでに現実にもたくさんあるのだろう。
(ソードアート・オンラインについては、Amazon Primeに登録している人ならば、2017年3月19日現在、Prime Videoからシーズン1を無料で見ることができる)
さて、いよいよ本題に入りたい。
仮想世界と難病
この作品中に、エイズに感染した人のターミナルケアにこのようなデバイス・仮想世界が使われるというシーンがあって、はっとした。
病気などの理由で現実世界での活動が制限されてしまう人に、このような没入型コンピューティングによる仮想世界が「処方」されるという未来には、現実味がある。
たとえば、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気では、全身の運動神経が変性・死滅していく。
身体が全く動かせなくなるが、感覚神経は無事であるため、暑さ・かゆさ・痛さといった感覚はずっと残る。もちろん、意識も非常に明瞭なまま残る。
考えただけで過酷な疾患だ。
実際に患者さんにお会いすると、その「考え」が甘かったことに気づいて愕然とする。
(ALSについては闘病記なども出ているので、参考されたい)
ベッドに寝たきりになり、そばにいる家族に話しかけることもできず、鼻にとまる蝿も払うことができない。
思っていることを伝えることはおろか、思い切り走りたい、セックスをしたい、といった衝動は全く叶えられず、静かに時間だけが過ぎる。
ALSは決して希少な難病ではない。日本だけで1万人近くの患者さんがいる。
また、ALSだけでなく、交通事故などでほぼ全身不随になるというケースもあるので、同様の環境にいる患者さんはもっと多い。
そのような患者さんが、(仮想空間内であっても)自由に身体を動かし、風を感じ、思い切り剣を振り回して冒険できるとしたら。
好きな人と結婚し、自分の家を持つといった社会生活を営めるとしたら、どんなに素晴らしいだろう。
そう考える医療者がいても、全く不思議ではない。
さて、このような患者さん向けのデバイス・仮想世界がもし完全に実用化されたとすると、現実世界における、難病治療の意味はどう変化するのだろうか。
現実世界で一生懸命、たいへんなコストや身体的・精神的苦痛を伴う闘病生活を送るよりも、仮想現実のなかで充実した暮らしを営む方がよほどQOLが高まる、ということはあり得るかもしれない。
ALSや脊髄損傷といった疾患・怪我に対しては、現在さまざまなアプローチでの治療法研究がなされているが、その一つの方向性は、再生医療だ。
神経の基になる細胞を移植することで、何とか失われた神経細胞を再生できないか、という考え方だ。
実際にこのような再生医療が実現するとしても、患者さん側のリハビリテーションやその後の社会復帰のための努力は、大変なものになるだろう。
それと対照的に、VRMMO-RPGでは、あっという間に自分の好きなアバターを設定して、その世界の中で生きることができる。
もし完全に患者さん向け仮想世界が実用化されたら、ほとんど「転生」するような体験になるのではないか。
どんな人に対してならば、転生が許容されるだろうか?
ALSではないが、寝たきりになってしまった高齢の患者が希望した場合、このような患者さん向け仮想世界を「処方」することは許容されるだろうか。
もう一度、若い時のように世界を体験したいという気持ちを持つ人は、寝たきりの患者さんだけではないはずだ。
どの程度過酷な疾患であれば、この患者さん向け仮想世界の処方がよしとされるのか。
自分の容姿にコンプレックスがあり、いじめなどを機に引きこもりになっている人が希望した場合はどうか。
性同一性障害の場合はどうか。
健康ではあるが、途上国に生まれたり、貧困層に生まれ、まったく現実世界でチャンスがないと感じている人の場合にはどうか。
おそらく、この仮想世界の処方が非常に効果的で低コストある場合、現実世界でのQOLの低さの原因を難病だけに限定して実用化することは、難しいと思う。
場合によっては、非常に教育的な内容の、現実世界への復帰を前提とした仮想世界が構築されるようになるかもしれない。
既に、各大学がオンラインの無料授業=MOOCsを開講しているが、これはある意味で仮想世界で学生になれる、というサービスだ。
授業を最後まで受講し続けるようなモチベーションの高い受講者ばかりではないが、VRMMO-RPGの技術が応用されれば、教育効果はかなり上がるだろう。
今回の記事で考えたこと
このように、十分に発達した患者さん向け仮想世界があり、そちらの方が高いQOLを実現できることが明らかである場合、難病患者さんが現実世界で回復したり、生き延びることを支援するための医療は、おのずとその位置づけ・費用対効果を問われることになるだろう。
そしてそれが実現されたとき、難病以外の原因で「現実世界でのQOLの低さ」に苦しむ人に対してこのような仮想世界を提供することは、許容されていくように思われる。
(そもそも、死後の世界が非常に素晴らしい、という確信を持てるような状況がほかの科学技術の発展によって実現された場合、人は「あまり無理して生きないようになってしまう」のでは?という恐れもある。ただ、この方向性よりも、十分に仮想世界が発達する方が実現可能性が高いようにも思われる)
長くなってきたのでいったんここで区切ろうと思う。
先の、『サピエンス全史』についての記事でも触れたが、人間はどんどん自分たちの住む環境を変え、自分たちをも変えてきた。
私たちは、仮想現実を構築する技術によって、自分たちの意思によって「転生」できる種になっていくのかもしれない。